記憶の世界

cherryblossom2013-10-14

我が母は認知症で、さっき言ったことも泡のように消えていくようだ
何度でも何十回でも朝なのか夕方なのかデイサービスに行くのか帰ったのか
聞いても聞いても聞いても・・・覚えていられない
私の姿が見えなくなって3分も記憶が持たない
隣の台所に居ても、トイレに居ても、お風呂に居ても、私が居なくなったのかと大声で呼ぶ
そしてまた、朝なのか夕方なのかデイサービスに行くのか帰ったのか
何度も何十回も聞く、くる日もくる日も
聞いても聞いたそばから忘れるのだから何十回でも聞いてくる


母はかつて韓流ドラマにハマって観たおしていた時期が5年あまり続いたろうか
ついに目を悪くして字幕が追えなくなりピタっと止めた
止めた途端に話が合わないと長年我が家に入り浸っていたご近所さんが遠のいた
ご近所さんの彼女は自分の家の商売の話から出戻った娘の悪口から孫の悩みから旦那の浮気の悩みから姑の大悪口から、韓ドラにハマる4、5年は前から通算10年以上の間
340日/年は我が家に入り浸って話こみ居間のこたつで昼寝をし
台所でコーヒーを入れ私の買いおきのポンパドールのパンをたいらげ過ごしていた



母と私は子供の頃より相性が悪く、いい関係ではなかった
20代半ばで母と1つ屋根が嫌で私は家を出ていたくらいだ
40代半ばで家に帰ってみると、すっかりそのご近所は我が家に住みついているも同然な
そんな状態だった

きっと我が母もそのご近所に私の事をグチっていたことだろう
2人はお互い出来の悪い娘を持った同盟のように
同じ傷を持つ同志のように絆を深めていたのだろう
そうして過ごした10年を母は失うことになる
病気のせいだから仕方ない


ご近所が通販サイトでコーヒーを買っていた
そのご近所は商売柄人の出入りが激しいので単価の安いドリップコーヒーをと常用していた
都度私がパソコンで発注してあげていたので、我が家に荷物が届く
すっかり足が遠のいているご近所さんも、その時ばかりは顔を覗けていた

が、ある日、母が玄関先でその彼女に向かって空き箱の段ボールを蹴った
押さえきれなかった様子だったが
何にせよ、私は母の非礼を彼女に詫びた
いいよ気にせんでと帰っていったが、後に他の人からそのコトでひどく憤慨して
家の母を悪く言っているという話が耳に入ってきた
パソコンの発注も私に言ってこなくなった



当時私はしかたない、我が母ながら情けないと尚もご近所に気の毒な気がしていたが
最近になって母の心のうちが解ってきた
母は足が遠のいた彼女を半年以上は待って待ち続けていたのだ
彼女は裏手からやって来るのだが庭の裏の入り口通路を狭くしている木があった
白い花が咲く父との思いでの木だったのに
ご近所の彼女の為にその木を切ってしまっていた
そうまでして彼女が来やすいようにと、それ程待っていたのだ
そんな思いが報われない半年の時間が母の心を苛んでいたのだ


段ボールを蹴ってしまった、自分がそんな行動に出てしまった以上
「もう彼女との修復は望むまい」と自ら心に決めていたのだろう
その当時からたまに母を散歩させているとき、
彼女と出くわすことがたま〜にあったが
声を掛けてくるそのご近所に、まともに目も合わそうとせず、挨拶もそこそこに
母は足早に家に帰ろうとするようになった


自分の過去の10年の歴史にけりをつけたのだ
それでも、けっして彼女の事を一言たりと悪く言わない母
そればかりか「人を恨むもんじゃないよ」と私をたしなめることはあっても
一度も一言も彼女の事を悪く言わない母
そんな母の辛さが、最近やっと気付けるようになった
自分は味方でいてあげようと


そうなってみると不思議なもので
幼い頃から相性が悪く、何かというと叩かれ叱られてばかりだった私の記憶の世界での
幼い自分の辛いばかりの日々がどんどん減少してきている・・・
オセロの黒がパタパタと白に返っていくように


とはいえ認知症の介護の問題は別のところにあって
悩ましいのだが・・・