話す

「話す」ことで、抱えてるものを「離す」ことが
或る程度できる

ただ、介護のストレスは
経験してない人に話しても伝わらない部分があって
痒いところが痒いままで
周囲だけかきむしった状態に陥って
それが新たなストレスとなる
そんなジレンマがある


また、介護施設に親を託した以上
面会にたまに行く程度が望ましい
だが、それではなかなかままならない状況がある
認知や介護度の程度に依る
施設は施設に過ぎなくて、親戚でも
ましてや家族ではない
過剰な期待は勿論論外なんて承知している

それでも、母が手で御粥をすする姿はショック過ぎた
多忙なのも大変な仕事なのも解るけど
現場のスタッフさんをうらめしく思わないではいられない
同じ施設なのに事務所では「食事の介助」を請け負っていても
現場でそれが成されていない現実との戦いは
無限なのだ
介護という人間力が問われる現場で
実際そこで仕事する人に
それを働きかけるなんて、そうそう”たやすくはない”!
はっきり言って、詰まる処、当たり外れってもんだ

そんな悩ましい状況にある介護する家族を
支援する機能が公共に用意されてはいる
市の福祉関係の部署に「指導課」とか
別の出先機関でも同じような「相談窓口」がある
税金で賄われてありがたい話だ
だけど、そこがまた機能していない

介護施設に親を預けてる家族は
人質をとられてるような気持ちがあって
不満とか諸々は言いたくても言えない
だから相談も、できれば匿名でしたい人が多いのが現状
それでも施設に利用家族の要望を反映させるべく
動いては下さるのだが
法的に介護施設が守られている現状を打破することができない

例えば、医療行為をしない
これを高らかに言い張ることでできるのだ
点滴なんて主治医の指示のもととはいえ
病院の往診でやらせてくれる施設の
なんと少ないことか!
「点滴は病院に行って頂きます」と、こうだ
殆どの施設がそうなのだ

定期的に点滴を受けたい状態になった時
病院を予約して、まず連れていって
車椅子ごとの移動がまず壁
いざ病院に着いても受付しても診察までどれだけ長い時間待つかって問題
会計でこれまた待ち時間

そのあいだ、ず~っと認知症の親を
訳もわからず、ぐずり、或いは暴れる親を
説得できれば、その人は認知症ではない
そんな状況で説得が通じないのが認知症っていう病気な訳で

その負担を家族に強いることが出来るのだ
まるなげ出来るのだ
例えば施設が点滴通院の為の移動、診察待ちなどふくめ
代行してくれるかというと
有料であっても認知度によりけりだ

そういう意味で今母の居る施設は
施設内で主治医の指示どおり
病院からの往診で点滴をうけられる

こんな当たり前な事が
おおっぴらに拒否できるシステムが横行し変えられない現状
介護施設は「医療行為はしなくていい」
点滴は医療行為に当たる
病院から往診に来て病院の看護婦さんが点滴を刺して処理して帰る
2時間後に施設の看護師はそれを抜くだけ
それだけの行為を「医療行為」と呼んでいるのだ

施設の看護師が点滴刺すわけでもないのにだ
こんな不条理なことがまかり通っている

要は、点滴にまつわるいっさいのトラブルを負いたくないってこと
利用者の健康ファーストではない
施設の立場ファースト!!

だから今お世話になっている施設は
食事の介助とか他に言いたいこともあるけど
その点はありがたい
施設の方針の方向性としては良心的
点滴中の見守りは家族が看てるけど
それはもう文句をいうまい
2時間付きっきりは無理なのは理解できる
認知症が軽い人は見守りなしで対応しているみたいだ