”Pure”な時期

cherryblossom2008-10-31


人にはピュアなときがある。幼少の頃、老人の頃は誰もピュアだ。
俗世には、ありとあらゆる欲が大小様々存在し、毒されて生きていく、産まれたばかりの頃は純粋だし、ヒト歳いって老人になると、全てを経験して、また無欲(?)な境地というか、なにかを脱した感が漂ってくる。
それとは別に、
稀に何か突出した才能を持って産まれた人に訪れる、Pureな時期がある。
本来「才能」とはPureなものなので、「才能の封が切られた瞬間のきらめき」とでもいうか・・・。その一時期実にPureな煌きを放つ!

福山雅治のファンになってまだ5年くらいだが、さかのぼって数年前の一番好きな頃がある。それがまさに才能の封が開いた頃、CDでいえば「M-COLLECTION 風をさがしてる」の頃。「かなしみは・・・」って曲を聴くと涙が溢れてくる。悲しい歌だからではない、なにか心揺さぶられる煌きに涙が出る。

初めてライブに行った頃は、すっかりベテランの域に達し、もっとステップアップしグレードアップした彼がそこに居た。

きっと、あらゆるジャンルで大スターになっている人達には、そんな「とてつもなくピュアなときが有る」はずだ。

どんなにスキルアップしようと立派になっていこうと、きっと現在のその人を通して、そのかつてあったピュアな煌きに、心惹かれているのではないだろうか・・・。
少なくとも、私は、そんなタイプだな・・・と最近気付いた。

何故なら、大人の魅力は大人になれば誰しも備わってくるもの、だが、大物スターと呼ばれる段階に駆け上っていく人達にしかない、Pureな時期が存在し、
その尊い煌きは無類で、唯一無二の魅力を備え持つ人だから。