遠くの親戚より・・

近くの他人
これが全てとは言わないが、時として真実!

距離的なものもあるが
理解度が遠いか近いかによるのだと、つくづくそうおもう。

子供の居ない私に育児のことが解らないように
親の介護をしたことがない人に介護は解らない
いいにつけ、悪いにつけだ


近頃なにかと口をうるさく出してくる親戚がいる。
ありがたい、心配してくれてどうもありがとう。

でもあんた達、な〜んも解ってないから!と言いたい。
じっさい言っちゃったけど、あんまりウルサイから。

手助けも何もしてくれない人に、介護のナンたるかもしらないアンタ達に
とやかく言われたくはないのだ。

介護度は日々変化していく、それに応じて物理的に介護の形態もかわっていかざるを得ないのは確かだが
そのタイミングとか度合いとかは
日々戦っている私が決める!
共にある母と決める!
弟には相談する!家族で決める。


少なくともアンタ達に遠くからどうのこうの指図されたくわない!
親の面倒を見なかった人や、現在見ないで財産だけ計算してる人に
「心配だから・・・」どうだこうだとか何もわかってないくせに。


ただ聞いて欲しい時とかある、ふと介護のハザマにブラックスポットに落ちる時がある
身内である親戚にしか解らない部分とかあるではないか、でももうそれは止めることにした!
もうあきあきする、聞いて欲しくて言ったたびに後悔するだけだった!
「そうだったの」と一言なだめてくれたらそれでよかった事なのに

そんな事で同じとこの繰り返しで心配だとか
聞いてたらなんの進歩もないだの、
ナンの解決にもなってないだの
綺麗ごと言ってりゃいいけど

大きなお世話だ!
入れ歯を洗い、尿パッドの貼り替えをし、時には浣腸もし
目が離せなくて、買い物に出るにも枕元のホワイトボードに
メモを残してでないと出かけられない
それでも帰りが遅いと携帯が鳴る
来る日も来る日もそんな繰り返しと直面している
それが介護の私の現場だ

同じ事の繰り返しであり、さぁこれで解決です
なんてものが有る訳がない現実を知らないで
そんな言葉で神経逆撫でされて侮辱されるいわれはない!
まっぴらだ!


育児と介護の決定的な違いは
育児は日々育っていくので進歩がある
介護は日々更に老いていくので繰り返しの次には退化が待っている
頑張っても頑張ってもその現実に打ちのめされるのが介護だ

介護に明け暮れる人のジレンマの深さがそこにあるのだ
繰り返し言いたい
親の介護しなかった人と、いっさいしないで財産の計算だけしてる
そんな2人にもっともらしい事なんて言わせない!




昨日近所のオバさんが、すごい有りがたいアドバイスをくれた
真さに遠くの親戚より近くの他人を実感した!



流した汗や涙を知ってほしい訳じゃない
fighting pose!!!この曲に励まされて頑張る!!!