あたりまえ

人は年と共に涙もろくなっていくのは何故かを考えてみた
すると、あたりまえって言葉が浮かんできた

体操ではないけど、あたりまえってなんだろ
当り前なことが当り前であることって幸せなんだと
改めて思う


感性なら或る意味青春時代のほうがみずみずしいはず
訳もなく泣いてみたり


でも大人になっていけば行くほど、訳がある
人生に経験値が増えてく
当り前だったことが、だんだんと減ってきて
もう、当り前ではなくなった事とかを知るようになる
その分感性は豊になってきて
ごく当たり前の光景にも涙するようになる


人それぞれの人生があるだろうけれど
人として感受する要素っていうものは概ね重なっている
端々が違っていても、嬉しい事悲しい事を積み重ねた今日がある


だから、見知らぬ人の喜びにも悲しみにもシンパシーを禁じ得ない
そんな感情が年と共に深みを持ってきて
涙腺が浅くなってくる
エレベーターとかで乗り合わせた人が大事そうにダッコしてる赤ちゃん
人の孫なのに、その無垢なかわいらしさにすら目頭が熱くなる^^



昨日ふと気付いた、新顔が咲いている^^
暖冬のせいか早い気がする


母を今朝ショートに預けた
ほっと珈琲を飲みながら、今日はましゃのカウントダウン観て
ましゃのギターと歌を堪能しよう
コードレスフォン、前持ってたの壊れてしまってる
自分にお年玉、買いに行こう〜!


こんな風にほっとする気持ち、これが実はクセモノでもあって
後悔のタネになっていくのだろう事を、どこかで思っている
きっと振り返ると、そんな種が芽吹いていて繁っているのだろうとも
ちょっと思う
母は今、施設で次に家に帰れる日をゆびおり数えている頃だろう
そんな母にかした負担の上に私のリフレッシュが成り立ってもいるのだから
こんな後ろめたさと、もう何年付き合ってきただろう
そっくり消えることなく後悔という科せに姿を変えていくのだろう
そしてまた1つ涙もろくなってゆく


人生って手ごわい
甘いことばかりじゃない
年とってくると、甘いことって
ないなぁ。。。
だから毎日私は甘い物を食べているのか
って、すごい言い訳(苦笑)