山茶花に誓う?

介護の現場には手厚く養護されている「社会の取り組み」「施設の方針」という光と
それに反する陰も存在している
それは人の心が100%善でなりたっていない以上
どんなことろにも有るであろう場面が横たわる
それがどんな物で、どのような問題となってくるかは経験していないと
知る由はないし想像はできない
だって、こうあるべきっていう取組や方針から逸脱している闇なのだから
それを受け入れなければならないのが利用者でありその家族
いじめが世の中から無くならないように
社会悪というものが無くならないように


介護の悩みを話すとき
友達と気まずくなる時がある
理想で物事を語る人には壁を感じる
そういう人が想像していない事が現場ではおきていることの説明を
受け入れて理解しようとしてくれる人ならだが
それさえ利用者の家族のせいのような言われ方をする


認知症の家族との葛藤もそうだ
その為に施設があるのだから任せてしまうのがいいと言いきることが出来るだろうか
私はそうはできない
人それぞれで、それぞれの事情で家族のありようでいいという考えだ
夜中母に大声あげてしまうことも今でもある
そこは親子、ないほうがいいけど
他人の冷たさとは違って、無様でもそれはそれで有るのも家族だ
それをも全面否定されたくはない


心が狭い私は、そんなタイプの人とは旨くやっていけない
ひっかっかった言葉を許容する能力に欠けている
お互い傷つけ合ってしまう
介護の現場にはそんなおまけも付いてくる



今年の山茶花
お花が少なめだ
やっぱ素人の私がヘタな剪定をした為だろう
ごめんよ山茶花

花が多めなところ^^私があまり剪定してないところだ
来年はリカバーしてくれるだろうか


年をとって人は丸くなるとか言うけど
より角がたってくるものだが持論な私
だけど、心が狭いなんて情けないから
少しでも来年は広くなっていよう
なんて山茶花に詫びながら思う


先日、友達とお茶しながら語った
年とると、短気になる(苦笑)
認知症のチェックリストにもある
”最近怒りっぽくなった”の項目、用心しなくちゃ、、、