ステイタス論

ステイタスとは、夢であってはならない。追い求めて手にする夢とちがって、ステイタスは生まれながらに持って産まれるもの。

その人がまとうオーラの中に自然に香ってくるような、必然輝かしい学歴や職歴経歴の持ち主だけど、ひっしで追い求めたのでなく、当たり前にその道しかなかった人。そういう人が世の中には少数派居る。言わば先天性。

努力して夢を切り開いた人とは違う。どっちが偉いとか好ましいの問題ではない。どっちもスバラシイ!
私はどっちも・・・ない。

この努力して夢を切り開いた人は、某有名電気メーカーの創立者であったり、あるいはエンターテイメントの世界での有名人であったり、産業界でのし上がった人とか・・・
共通点は学歴うんぬんではないということ。

誰しも自分を飾ろうとする、手段は様々だし、どこまで飾りたいかも人それぞれ。
例えば、有名私大を出て、スッチーになって、医者と結婚した人がいる。だが、彼女がどんなにブランドをまとって子供を有名私学に幼稚舎から通わせても、それをステイタスと思うのは自由であっても、

本物のステイタスは努力して得るのではなくて、歴然と備わった、例えば白洲正子のような圧倒感がある。
ひっしに何かするのでなく、当たり前に有名大学を出て、留学をし、当たり前になんでも出来て、そこから才能で文筆家になったり、贅沢として思想家だったりもする、他にすることがもうないから的に。

思想家ってステイタスの究極だとおもう。

カップラーメンすすって、ひっしでベンツに乗ったり、ひっしで背伸びするのは、悪い訳じゃない、それどころか努力は偉い!
でもそれでステイタスとするのは違う気がするだけ。

自分はどうなのか。
ささやかに生きてきた中でも、なにか我欲や煩悩まみれで(?!)見誤ったりミスがあったり。
学習能力が欠如していて、何度も同じアナにハマッタりもしてきた。
これからは、過去の経験値から見定めた目標に向かって、努力をしていこう。

家族や友人に支えられながら。
そして、家族や友人をたまには支えられる力を少しでも身につけよう。