ドライブをした昼下がり

薄曇りの日が続いていたが今日は陽ざしがあるので
母を外出させて家に連れて帰ってみた
去年の夏あたりから、それ以前のような頻度で帰宅させてあげてない
だからか家に帰っても家とは解るけど落ち着かない母
ベッドに横にならせてもじっといられない
庭の花を見たら、もうどこかへ連れて行ってと言うようになっている


今日も山茶花を見て、ベッドに寝かせてみたが
すぐに起こして、どこか連れて行ってという
「お母さん、ここおうちよ、解る?」
「解るよ、応接間」と解っている、でも
「ごめん、寂しい、おねぇちゃんごめんよ、どっか行く」って言うのだ


施設に行く道中、「おうち帰れる?連れて帰ってよ」と言う
母の言うおうちは、産まれた実家のことをここ数年帰りたいというので
そっちの事のようでもある

母を施設のベッドに寝かせて「また晩御飯に来るからね」
と帰り道、私は寂しさを感じた
母は少しずつ家の事を忘れていっている
いずれは忘れてしまうのだろうか
私の名前もしょっちゅう違う名前で呼ぶけれど
忘れるのだろうか、、、
運転中に手を繋ぐその手の感触も忘れていくのだろうか


私がもっと年をとった時、帰りたいと思う場所はどこなのだろうか
母と手を繋いだ感触も思いださなくなるのだろうか


涙が幾すじも頬をつたう
悲しいとか悔しいとかではなく
言い知れない無情さというか
同じ景色の中でも時空を越えれば、そこに居る人も様子も変わっていく
永遠という時の流の中で家族として過ごした時間や場所が
その行先も知れず、やがては移ろいでいく