時間と距離

物理の話ではない
標高の秘密・・・?
先日標高400M程上ったにすぎないけど
水平に400M移動しても異次元感など味わえないけど
高さに人は何か解放されるのかもしれない
気圧ってほど差はないだろうに、どこか解放感がある
まぁ風景からして開ける効果だろう


「雨宿り」が普通に聴けるようになった
ほんとに聴けなかったのだよ私は!!!
良い曲じゃないかと思うけど受け入れる度量が自分になかった
数か月前の長い知り合いとのいざこざ以来
それ以前は「雨宿り」聴けていたのが・・・
独り身で人生を生きて来て、母の認知という厳しい現実に直面して
そんな母と二人きりの中、それは2人ではない
認知の人が独りと、そうでない人が独りの空間となる




諸々心の垢で自分の中に眠ってたひねくれ根性が全開してしまっていたのだろう
ほんとに「雨宿り」聴けなかった
そればかりか、後ろ向きな落とし穴がパックリで
人生において、「老い」の入り口に立った感に支配されていた


きっかけは、ましゃ
『若かった頃の自分に今の自分から伝えたいこと』という取材をうけていて
それを見て自分におきかえた
そうか十年後、今の自分に伝えたいことは?
そう思ってみた時、すこし前が向けそうになったのだ
まだ前を向いていいんだと


少し晴れた気持ちの時に、山郷のカフェを捜して出逢ったところに訪れて来て
そのタイミングで「魂リク」DVDを借りた^^
リラックスして観てたら、おっと「雨宿り」が来ちゃった
あれれ!どうしようとスキップ!!
楽しいおしゃべりだったから、DVD再生リピートして2どめ
恐る恐るちょっとだけ聴いてみた
(それぐらい聴けなかった!!!こんな経験するとも知らなかったわ!!!)


まさに!リハビリ(笑)
心のリハビリだ〜
もう以前のように普通に聴ける
こんな当たり前のことすら困難なことがこれから出てくるのだろう
それが老いていくってことなんだと知った


だけど母が私の年の頃はもっと元気だった(気持ち面)
なんだろうか、急に情緒不安定に見舞われた
還暦ってパワーとられる節目なのかもしれない
通り過ぎたにみえて、やばいスポットの入り口を垣間見てしまったような
ここ数か月のごたごたはぜ〜んぶ忘れよう


頁をめくって、まっさらな時間に向き合おう



マリリス、第一号が咲いた、草むらの中^^


我が家の庭の花達は着実に春から夏への時間をきざんでいる