花のように

表の手入れもしてないところに毎年咲く彼岸花

花って物言わない
これから咲くとも今咲いてるとも
そこにある水分と陽ざしの恵みで育ち黙って咲く


見習うことなんて私にはできないけど
そもそも咲いてんのか?(笑)
一回でも咲いたのか?(苦笑)
日々生きていくのに、文句や言いごとが多い昨今


いっぱい考えた
私なりに、それはそれは考えた
母の施設に対して、文句、或いは要望の諸々
どう考えても正統な要望だと思われるものに絞って先日ご相談ってことで
話をした


不思議に後味が良くない
施設の対応は改善された部分もある
ほっとするけど、スッキリしないものが残る
これでいいのだ、と自分に言いながら、どこかしらひっかかる


以前、弟に相談っていうか愚痴ったことがある
その時の弟が言ったとおりだな〜って気付く
弟が言うには
私の言いたい事は気持ちとして解らないではないが
それを施設に言ったところで、大して意味はない
そう言いきったのだ
なんだと?私は納得いかなかった
が、更に彼が言った
そもそも、なすべき事が何々なのかってことは施設は解っている
出来てない事は、なすべきだとの意識が無いからではなくて
出来ないから、出来ていない


するべきと解っていても出来ない事なのだから
私が文句を言おうと、一時変わってたとして
長い目で見て変化はないはずだと言うのだ
出来ないには出来ない理由があるのだと
多分、利用者に対してスタッフが足りないからだろうと
たりてないところで出来ることの優先順位にのっとって選択しているのだと


更には、自分が出来ない事を
施設に求めても、そもそも論それが間違っていると
そこまで言われたら私もムカツイタので話はそこでやめた



では何の為の施設だ、何の為のプロだ、何の為のお高い利用料金だ
疑問っていうより憤懣だった



でもよくよく考えると、仕事だろうと出来ないことは
出来ないでいる自由というか権利っていうのもへんだけど
それはある
もっと言えば、それを強要されるのは無理があると
やってられないと感じる人は職場を離れるだろう
仕事を選ぶ権利がある


ともあれ、私はもうよっぽどでない限りは
黙っていようと
今までは我慢して言わなかったけど
我慢するのではなく
して貰えるとこに感謝こそすれ
出来てないところに目くじらを立てるのは
自分の精神衛生上良くないので、やめよう
どんだけ想ったところで山は動かない


では母の為の施設に対しての要望はどうなるのだ
精一杯私が出来ることをしよう
それが介護の現実なのだ
今更言うまでもない、さんざんこの壁と闘ってきた
そして、どうしようもなく介護の現実を思い知ってもきた
そこに何の疑問も挟む余地がない



花のようになんて聞こえが良過ぎるけど
もう黙ってみよう


中には意識も高く、凄くよくしてくれるスタッフさんもいる
それはプロ中のプロなのだ
そんな人に出逢えたら、それは実にラッキーであり
同時に、そんな人を見習って励みにいっそう自分も親の介護に頑張ろう


日本中の高校生が全員東大に入れる学力を身に着けてはいないように
同じ介護の現場で仕事されていても
そこでの東大に入れる配分は、日本中の高校生のそれに匹敵する配分率くらいだろう
施設に対して要望するってことは、そんなつもりで言ってないとしても
全員がこうあるべき、みたいな物いいになってしまうのだ


どうだこうだ言ったところで
自宅で認知症の介護していたら私はもっと疲弊している
施設のお世話なくしてなりたたない有難さを思おう